12月11日(日) 葬儀

帰省して4日目、葬儀。

今日も早くから弔問を受ける。しかし、「(会社の)マネージャーが長崎に着いてる」との連絡があり=葬儀に来る、ということ。・・・木金は神戸に出張に行っていたはず。申し訳ないとも思いつつ、やはり地元の人たちや親族に囲まれて過ごしているところに、会社の人が来ると、とても心安らぐ感じ。普段身近に接しているのは、やっぱり東京の人だから。

葬儀の最後に「親族代表挨拶」をしなくてはならないので、そっちに意識を集中する。企画の部署なので、たとえば祝電なんかもかなり凝ったものを作ったりする。上司も来るとなると、挨拶には特に気を遣うのだ。

今回200名近くの弔問の皆様とお話をして、一様に言っていたのは「(父が)いなくなったら、誰に仕事を頼めばいいのかね・・・頼りにしてたから」、「いつもあなたたち(僕たち兄弟)のことを話してたのよ。誇りに思ってたから」の2点。

ここ10年ぐらいは不況のあおりをうけて新築住宅の請負はほとんどなく、大工としての仕事を続けていくのは容易ではなかった。しかし「仕事を頼まれたときに、時間が空いてないと困る」という理由で他の仕事を探すこともせず、最後まで大工として死んでいった父。そういうところが慕われてたのだと思う。

「こんなところ(=田舎)にいても仕方ないから、早く出て行きなさい」と、子供の頃から母に言われ続けていた影響もあって、僕たち兄弟は早々に東京と大阪に出て来てしまった。父は僕が家を出るとき「家族に負担をかけてまで、東京に行く理由がわからん。勉強なんてどこでもできるじゃないか」と言っていたのを思い出す。父が自分の意見を述べるのはとてもとても稀なことなので、よほど反対していたという意思表示だったのだろう。それでも、そんな兄弟を誇りに思っていてくれていた。親孝行なんて何もできなかったけど、頑張ってきてよかったなと思う。

そういう感じのことを述べた。もっととても短く。あと皆さんへのお礼と。

出棺の前に、棺に遺品を入れる。大工だから、金槌と道具袋、作業着、インテリアのカタログとか。あとは好きだったビールと、報知。それからビールをみんなで口元に流してやり、蓋を閉める。それから自分は遺影を持って霊柩車へ。「辛気臭くないほうがいい」という祖母の希望で、金ピカのやつ。これはもう流行らないので、いずれ世の中から消えてなくなるそうだけど、実際近くで見ると良いものだと思う。

夕方、斎場へ。簡単に線香をあげて手を合わせた後、棺はとてもあっけなく、すーっと窯の中へ吸い込まれていった。「もし生きてたら熱いだろうな」と思った。まだ父が起き上がるんじゃないか、という期待みたいなものがあったから。1時間半ぐらいして、骨が出てきた。さすがにこうなると、もう生き返ることはない。あきらめではないけれど、後は安らかに眠ってもらうしかないし、我々は前を向いて進むしかないのだ。そう考えると、もう泣くこともなかった。

精進落としの食事を済ませた後、家へ戻る。この日はちょうど新しい橋の開通式にあたり、夜は白くライトアップされていた。それを下から眺めながらの帰宅。遺影をそっちに向けて見せてやる。家へ着くと、骨壷を安置。小さくなったものだ。

これで葬儀は終わり。あまりにも短い間の出来事で、いまいち実感がわかないが、ここまで来ると死は受け入れられる。もう戻ってこない。先のことを残った家族でゆっくり考えていくしかない。僕たち兄弟は東京へ戻ることになる。そういう生活を9年も続けてきたから、正直そっちがメインになっているし、遠く離れていればすぐに慣れてしまうだろう。しかし母は違う。毎日顔を合わせて暮らしてきた人がいなくなったわけで、どれだけ不安か、寂しいかは、自分の想像を超えている。支えていかなくてはならないと思う。
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by dancex3 | 2005-12-24 11:49 | 臨時ニュース  

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