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12月25日(日) 総括 番外

気になる女性、を忘れていたので追伸。

今年は長澤まさみ綾瀬はるかで決まりだが、
ここに来て香椎由宇が急浮上。
目ヂカラがあって大変よろしい。
あとはあれだ、ワンデー・アキュビュー・ディファインの相沢紗世
MAXFACTORフェイスフィニティの松下奈緒

でも長澤まさみ以外は、みんな顔が似てる気がする。
目がパッチリ大きくて、綺麗系。景気が良くなってきた証拠だろう。

全然別路線では、上野樹里も、深津絵里のニオイがしてきたので、
今後に期待したい。

以上。

by dancex3 | 2005-12-24 23:51 | NOT FOUND  

12月24日(土) 総括③

最後に、音楽。

1.Franz Ferdinand 『You Could Have It So Much Better』
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  これはようやく今週入手。
  2曲目「Do You Want To」は
  ノイタナミのアニメ『パラダイス・キス』の
  エンディングテーマであり、
  ソニー、ネットワークウォークマンの
  CMソングであり、とにかくよく聴く。
  「女の子を躍らせる曲」を作りたい
  という狙いがよくわかる。
  1stアルバムも聴いてみたけど
  今回のほうがPOPで良い。景気にマッチ。


2.木村カエラ『リルラ・リルハ』
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  アルバム『KAELA』もお気に入り。
  こちらはVodafoneのCMソング。
  今女性POPシンガーで一番勢いのある
  のが木村カエラだと思ってます。
  ちなみにこのCDのジャケは清川あさみ作。




3.akiko『Little Miss Jazz & Jive Goes Around the World!』
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  こちらも今週入手。ライブは未だに
  行けてないのだけど・・・ご機嫌な1枚。
  アルバム『simply blue』も良し。



もちろんライブに行った
B'z 『CIRCLE』、Mr. Children 『I ♥ U』
Southern All Stars 『KILLER STREET』 (これは曲多すぎ)
も良いのだけど、「何度も聴きたくなる」尺度で考えると
上の3枚にはちょっと敵わない。

あと、最近集中的にジャズを聴いている。
村上春樹氏『ポートレート・イン・ジャズ』を読んでて
気になったアルバムを探してみる。
Louis Armstrong、Bix Beiderbecke、Benny Goodman、
Stan Getz、Glenn Miller、Billie Holiday とか。
クリスマスにはLouis Armstrongがフィットするような。

ちなみに1月25日には某シャンプーのCMソング
YUKI『メランコリニスタ』が発売になる。
これも、一度聴くと忘れられないナンバーなので乞うご期待。

以上、ちょっと早いけど2005年の総括、でした。
平日あんまり更新できないもので・・・忘れないうちに。

あと、当然年賀状は書けないのでご挨拶。
今年も色々とお世話になりました。
来年も皆様にとってより良い年になりますように。

by dancex3 | 2005-12-24 23:05 | GUITAR KIDS RAPSODY  

12月24日(土) 総括②

それから、映画。

と思ったけど・・・今年はほとんど映画を観てないな・・・。
劇場には一歩も足を踏み入れてない。DVDだけ紹介。

1.ジム・ジャームッシュ『COFFEE AND CIGARETTE』
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  『Night on Earth』ジム・ジャームッシュ監督の
  最新作。大変オサレです。タバコは吸わないが
  コーヒーは飲みたくなる。モノクロっていいね。


2.ジョージ・ルーカス『スターウォーズ・エピソードⅢ』
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  1つの時代が終わりを告げた感じ。
  ヘイデン・クリステンセンは、
  オダギリジョーに似てる、と思う。


3.レニー・ハーリン『エクソシスト・ビギニング』
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  スパイダーウォークはないけど、
  かなり気持ち悪い。観たのが夏でよかった。


・・・並べてみると、今年はラブストーリーが不足だった気が致します。

by dancex3 | 2005-12-24 22:30 | ロードムービー  

12月24日(土) 総括①

忘年会で色々画策してたりしたんだけど、ほとんど全部飛んでしまったし
みんなでParty On!という感じでもないので、クリスマスは家でゆっくりと。
「ローマの休日」をOAしてくれるフジテレビに感謝しつつ、今年の総括を。

事件はもう、今月色々ありすぎて今さら書くまでもない。
ので、文化的生活のおさらいを。

まずは本、だな。

1.ひうらさとる 『ホタルノヒカリ』
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  今年のNo.1は、珍しく単行本で読んだコミック。
  もう、とにかく心を揺さぶられた。
  面白いけど、他人事として笑えない。
  2005年は脱・干物男を目指して頑張ります。


2. 三善里沙子 『中央線なヒト』
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  これは1月に読んだので
  すっかり忘れていたのだが
  中央線人としては必読の書。
  我が第二の故郷中央線沿線。郷土愛。


3.村上春樹 『東京奇譚集』
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  夏ごろ読んだのかな?
  以前にも書いたとおり、村上氏の人生観の
  変化が読み取れる作品。
  個人的に氏の短編が好きというのもある。


次点としては、先輩・高村薫氏の『李歐』、『神の火』かな。
他の作品同様、登場人物のひたむきさ、若さ、勢いを感じる。

小説以外、ってあんまり読まないんだけど、今年はヒットだったかも。
『ホタルノヒカリ』は連載なので、まだまだ続きます。
ノイタナミでアニメやらんかな・・・。

by dancex3 | 2005-12-24 22:00 | 名もなき詩  

12月21日(水) ROMAN HOLIDAY

12月頭から帰省してしまったので今年唯一となる忘年会は、
会社の事業部60名による大忘年会。
会場は東陽町にあるホテルイースト21。

余興でレギュラーのあるある探検隊と、レイザーラモンHGを堪能した。
今年はやはりHGでしょう。彼は来年まで生き残れるのか???

忘年会だけどクリスマスプレゼント交換が行われ、
上海のカルフールで売ってるサンタの人形をいただいた。
自分が用意したのは、「ローマの休日」DVDとポストカード。
ちょっと予算オーバーだけど、まあプレゼントは選ぶのが楽しいじゃん。
もらってくれた人は、「ローマの休日」が一番好きな映画で、
オードリーの映画はほとんど見てるし、新婚旅行はローマに行ったらしい。
スペイン階段とか。真実の口とか。(50歳前のおじさんだが・・・)

個人的にもTOP5に入る好きな映画で、10回ぐらい観てる。
でも実家にいる頃、テレビでやってたこれを見終った直後、
近所の家が火事で全焼したといういわくつきでもある。

終了後、
「たまにはお姉ちゃんのいる店行くかー!」
と上司に呼ばれるけど、丁重にお断りする。
さすがにそこまでは行けません。自粛自粛。

by dancex3 | 2005-12-24 21:28 | ファミレス午前3時  

12月19日(月) 復帰

忌引でお休みをいただき、15日(木)に東京に戻ってきた。
その後東京で3日間リハビリ。月曜から出社。11連休は会社入って初かも。

夜には代理店チームの解散宴会があるので「できれば出て」と。
ずっとお世話になってきたし、これはきっちり出席することにする。
どこかで飲み始めないといけないわけだし。早いほうがよかろう。

お土産にシャンパンをいただく。シャンパン。

時間がかかったけど、ここまで帰省から葬儀、復帰まで細かく書いてみた。
人間は忘れる生き物だから、どんなに大きな出来事でも
その記憶はいつか薄れていくもの。
忘れたくないことは記録に残すしかない。

というわけで・・・さて。社会に戻るべき時だ。

by dancex3 | 2005-12-24 20:56 | 臨時ニュース  

12月11日(日) 葬儀

帰省して4日目、葬儀。

今日も早くから弔問を受ける。しかし、「(会社の)マネージャーが長崎に着いてる」との連絡があり=葬儀に来る、ということ。・・・木金は神戸に出張に行っていたはず。申し訳ないとも思いつつ、やはり地元の人たちや親族に囲まれて過ごしているところに、会社の人が来ると、とても心安らぐ感じ。普段身近に接しているのは、やっぱり東京の人だから。

葬儀の最後に「親族代表挨拶」をしなくてはならないので、そっちに意識を集中する。企画の部署なので、たとえば祝電なんかもかなり凝ったものを作ったりする。上司も来るとなると、挨拶には特に気を遣うのだ。

今回200名近くの弔問の皆様とお話をして、一様に言っていたのは「(父が)いなくなったら、誰に仕事を頼めばいいのかね・・・頼りにしてたから」、「いつもあなたたち(僕たち兄弟)のことを話してたのよ。誇りに思ってたから」の2点。

ここ10年ぐらいは不況のあおりをうけて新築住宅の請負はほとんどなく、大工としての仕事を続けていくのは容易ではなかった。しかし「仕事を頼まれたときに、時間が空いてないと困る」という理由で他の仕事を探すこともせず、最後まで大工として死んでいった父。そういうところが慕われてたのだと思う。

「こんなところ(=田舎)にいても仕方ないから、早く出て行きなさい」と、子供の頃から母に言われ続けていた影響もあって、僕たち兄弟は早々に東京と大阪に出て来てしまった。父は僕が家を出るとき「家族に負担をかけてまで、東京に行く理由がわからん。勉強なんてどこでもできるじゃないか」と言っていたのを思い出す。父が自分の意見を述べるのはとてもとても稀なことなので、よほど反対していたという意思表示だったのだろう。それでも、そんな兄弟を誇りに思っていてくれていた。親孝行なんて何もできなかったけど、頑張ってきてよかったなと思う。

そういう感じのことを述べた。もっととても短く。あと皆さんへのお礼と。

出棺の前に、棺に遺品を入れる。大工だから、金槌と道具袋、作業着、インテリアのカタログとか。あとは好きだったビールと、報知。それからビールをみんなで口元に流してやり、蓋を閉める。それから自分は遺影を持って霊柩車へ。「辛気臭くないほうがいい」という祖母の希望で、金ピカのやつ。これはもう流行らないので、いずれ世の中から消えてなくなるそうだけど、実際近くで見ると良いものだと思う。

夕方、斎場へ。簡単に線香をあげて手を合わせた後、棺はとてもあっけなく、すーっと窯の中へ吸い込まれていった。「もし生きてたら熱いだろうな」と思った。まだ父が起き上がるんじゃないか、という期待みたいなものがあったから。1時間半ぐらいして、骨が出てきた。さすがにこうなると、もう生き返ることはない。あきらめではないけれど、後は安らかに眠ってもらうしかないし、我々は前を向いて進むしかないのだ。そう考えると、もう泣くこともなかった。

精進落としの食事を済ませた後、家へ戻る。この日はちょうど新しい橋の開通式にあたり、夜は白くライトアップされていた。それを下から眺めながらの帰宅。遺影をそっちに向けて見せてやる。家へ着くと、骨壷を安置。小さくなったものだ。

これで葬儀は終わり。あまりにも短い間の出来事で、いまいち実感がわかないが、ここまで来ると死は受け入れられる。もう戻ってこない。先のことを残った家族でゆっくり考えていくしかない。僕たち兄弟は東京へ戻ることになる。そういう生活を9年も続けてきたから、正直そっちがメインになっているし、遠く離れていればすぐに慣れてしまうだろう。しかし母は違う。毎日顔を合わせて暮らしてきた人がいなくなったわけで、どれだけ不安か、寂しいかは、自分の想像を超えている。支えていかなくてはならないと思う。

by dancex3 | 2005-12-24 11:49 | 臨時ニュース  

12月10日(土) 通夜

明けて10日は通夜。

通夜は夕方6時からだが、田舎の朝は早い。8時頃から近所の親戚が手を合わせに来る。嬉しい話だが、出迎える方は準備で大変。食事を取る隙もない。

細々と書き記して来たが、ここに来て記憶が飛んでいる事に気付く。朝から夕方まで、何をしていたのか思い出せない。一番余裕の無かった時間なのだろう。気がつけば夕方5時頃で、弟も戻っている。母と3人で祭壇の横に座って弔問を受ける。近所のおじいちゃん・おばあちゃんたちは正直あまりよく知らないのだが、それでも見覚えのある顔が多く、「良い人だった」「息子さんたちを誇りに思っていた」などの言葉をかけてくれる。

特に胸が熱くなるのは、自分の同級生やその家族が来てくれた時。半年に一度しか帰省しないからご無沙汰なのだが、顔を合わせただけで泣き出してしまう。素直に来てもらえて嬉しいし、この人たちには弱いところを見せても良い、頼っても良い、という安心感があるのだろう。さらには、そういう地元の人たちとの話を続けているときに来る、会社の人たちからの弔電も嬉しかった。自分たちがどれだけ周囲の人たちに支えられて生きているか実感する。

6時からお経を上げてもらう。今夜も蝋燭と線香を絶やさないよう、寝ずの番が続く。さすがに二晩は耐えられないので、今日来た弟と親戚に任せて、自分と母は別室で寝させてもらう。


と・・・思い出した。
朝11時からは葬儀社の人たちが来て祭壇をセッティングし、遺体の処理をし、12時頃納棺。手甲・脚半をつけ、六文銭を懐に入れ、化粧をして旅支度が完了。遺体を棺に遺体を収める。棺は色々種類があって、最初の夜に親戚一同あーでもないこーでもない言ってたのだが、自分が決めた。シンプルな桐の白木の棺。大工だった父に似合うと思ったから。多少安っぽく見えるのかもしれないけど、そういう意味付けがあるのが一番大切だと思う。

相変わらず眠っているだけのような顔に見えたが、棺に収まると段々、本当に死んでしまったのだという実感が湧いてくる。父はもう戻って来なさそうだ。

by dancex3 | 2005-12-17 23:12 | 臨時ニュース  

12月9日(金) 永眠

翌9日。

昨日同様、報知を買って持って行った。昨日より状態がよく、多少口数も笑顔も増えている。しかし昨夜あまり眠れなかったそうなので、私たちは病室を離れる。時々近くに住む伯父・伯母夫婦が見舞いに訪れる。

ちょうど年末の忙しい時期のため、店の忙しい弟は東京へ戻る。いつどうなるかわからない状況で、とにかく顔を見ておきたい一心で病院へ駆けつけたわけで、一応の目的は達成された。考えたくはないが、臨終に立ち会えないであろうことは十分に理解した上でのとんぼ返りであった。というか、たとえば30分席を外すだけでも、次にはもう会えないかもしれない。それは弟だけでなく、全員が意識しておかないといけないことでもある。

さらに昼食を済ませた後、夕方に病室を2人部屋から個室へ移動。これからお世話になるナースステーションへお菓子の差し入れをするため、近くのスーパーにお茶菓子を買いに出かける。あと下着とか、ストローつきのコップなども購入して戻る。

午後になって寝返りが増える。「座ってみたい」とか言い出したりして、ベッドの脇に座らせたり、背もたれを上げたりしてみる。5時を過ぎると帰宅ラッシュで道が混むので大体4時過ぎには病院を出るのだが、朝と比べると少し調子が悪いらしく、心配なので長めに付き添ってみる。それでも家の掃除や洗濯、食事の準備もしなくてはならないので、母を残して先に帰ることになった。「明日また来るから」と言うと、父は「うん。ありがとう。」と言った。

病院の外は既に渋滞していて、タクシーで山道を飛ばして帰る。夕食の準備をして母の帰りを待つ。ほどなく病院の近くに住む伯母から電話があった。母はまだ帰っていない旨を告げる。さらに1時間。再び伯母から電話があり、まだ戻らないと言うと、伯母は心配だから病院に電話してみるという。すぐに伯母から再び電話。「容態が悪いからすぐ病院に来るように」とのこと。

いつかそういう時が来るのはわかっていたけど・・・今日かよ。

すぐに隣に住む祖母を連れて、病院へ戻る。

病室へ入ると、父はベッドの上で背中を丸めて悶えており、5時で帰った担当医が戻るのを待っていた。かなり苦しそうに喘いでいる。伯母たちも先に着いていた。程なく担当医が到着。母と私が別室に呼び出される。

医師「思っていたよりも病状が深刻です。今日になって小便の出が悪くなり、現在は尿毒症のような状態です。肝臓は痛みがないので、悪くなっても激痛が走るいうことはありませんが、身の置き所の無いような耐え難い苦しさだと言います。これ以上の鎮静剤を打つと楽にはなりますが、弱い人は呼吸・心停止の可能性もあります。しかしいずれにしても、今日明日しかもたないでしょう。ご家族に判断していただかないといけませんが、どうしますか?」

今日か明日。このとき一番に考えたのは「弟が間に合うか」だった。8時。すでに東京の自宅に到着した弟が再び来るためには、今日はもう飛行機がない。明日の朝一で来てもらったとしても病院着は朝10時。微妙なタイミングだ。鎮静剤を打って命を縮める可能性もある。どちらにしても、もって今夜か明日朝。尊厳死について、ELPでやったよな・・・と思い出したりもした。しかし自分(と母)がそんな決断を迫られる事態に身を置くことになってみると、それがどれくらい辛い選択かがよくわかる。急なことだし、どうしてよいかわからない。

結局「楽にしてあげたい」という母の希望に自分も同意し、鎮静剤を打ってもらうことにした。打っても打たなくても、長くはもたないのだ。苦しみは取り除いてあげたい。あとは父の体力頼み。弟はとにかく明朝来るように電話した。

鎮静剤を打っても、父は呼吸も鼓動も止めなかった。強い人だ。多少楽になったようにも見える。投薬を続けながら、しかしどう考えても治る見込みはない状態で、何を言ったらよいのかもわからなないまま、とにかく私と母・祖母は父の手を握り、繰り返し名前を呼び、励ます。覚悟して帰ったと言っても、できれば弟が戻るまで持ち堪えて欲しかった。

苦しそうに呼吸を続けながら、煩わしく感じるのだろう、時々酸素マスクを外そうとする。何か言いたいのかもしれないと思って様子をみるが、そのまま苦しそうに息をしているだけなので、またマスクをつけさせる。そんなことをしばらく繰り返しているうちに、吐血が始まった。喀血ではなくて、呼気と一緒に肺からあふれ出してくるように見える。どす黒い、泡立つ血だ。目を逸らせたくはなかった。最後までしっかり見ていたかった。

しばらくして、父はかっと目を開け、見守る私たちを見回した。ちゃんと目が合ったように思う。それから呼吸が止まり、心臓も止まった。心拍計のアラームが鳴る。「本当にこういう音で鳴るんだ」と思った。「救命病棟24時」に出てくるみたいに。

12月9日午後8時50分。58歳。死因は肝不全。


息子に先立たれ、呆然とする祖母がかわいそうでならない。

葬儀は自宅で行うので、遺体と一緒に葬儀社の車に乗る。無言の帰宅。いつも寝ていた布団に寝かせてあげる。それから葬儀社と通夜・葬儀の予定を詰め、見積もりをお願いする。お寺から住職さんが到着してお経をあげてくれる。それから伯母夫婦と祖母、母と私で線香を絶やさぬよう気をつけながら、父のそばで夜を明かした。

by dancex3 | 2005-12-16 22:44 | 臨時ニュース  

12月8日(木) 緊急帰省

7日の夜、実家から父が倒れたという電話が入った。

肝臓が悪く、もっても後2ヶ月とのこと。

あまりに突然の話で、まったく実感が湧かなかった。

余命2ヶ月、ではあるが爆弾を抱えているようなものなので、いつ死んでしまってもおかしくない状況らしく、翌8日、兄弟2人朝早くの飛行機で地元へ戻り、病院へ直行。

意識はあって話もできるもののの、顔には黄疸が出ていて肝臓を悪くしているのは一目でわかる。腹部も大きく膨らんでいて、腹水が溜まっているのもわかる。

母の話では、C型肝炎から肝硬変、肝臓癌と進行して、倒れたときにはすでに癌が体中に転移しており、全く手の施しようのない状況。ここまで進行するまでには相当の時間がかかったはずで、数年健康診断を受けていなかったのがマズかった。血液検査をしていれば一発で見抜けたことだし、肝炎の段階で治療をしていれば死に至ることもなかった。「なんで今日まで病院に来なかったのか?」と、救急担当の医師には怒鳴られたらしい。

自覚症状の出にくい臓器だけに、本人も気がつかなかったのかもしれないが、すでに癌は転移しており、体調は非常に悪かったはず。本人も異常は感じていたらしく、市販の鎮痛剤を飲んだりしていたとのこと。それでも病院に行こうとしなかったのは、自分の症状がかなり重いことを何となく感じており、医師の口からそのことを告げられるのが怖かったのだろう。

本人への情報は、当初検査で発覚した肝硬変のみ。
癌・および余命について本人への告知は無し。

顔を合わせたら自分たちは泣き出すのじゃないか、と思っていたがそこは何が押し止めているのか、涙を流すことはなかった。いつも読んでいるスポーツ報知とか、ポカリスエットとか買ってきてあげて、とにかくゆっくり治すように言ってあげる。

余命2ヶ月。
突然のこととはいえ、この日の時点では父の死はまだ先のことと考えてた。

by dancex3 | 2005-12-16 03:14 | 臨時ニュース